2025年10月01日
技術と経験が紡いだシステム — PMDOC X誕生秘話
はじめに ― 入社したばかりの私の視点から
「PMDOC X」という製品を耳にしたとき、正直に言えば「難しそう」という印象を持ちました。医薬品や医療機器の添付文書を作成・管理するシステム――法規制や電子化の流れの中で必要不可欠な存在だと説明を受けても、具体的にどうしてそんな製品が生まれたのか、その背景はすぐには理解できませんでした。 だからこそ今回、入社して間もない私自身が、ネクストソリューション株式会社 代表取締役社長・依岡氏にインタビューを行い、「PMDOC Xが生まれるまでの物語」を伺うことにしました。 そのストーリーは、医薬・医療業界の文書管理に携わる方にとっても、新たな発見に満ちているはずです。なぜなら、この製品は「ある日突然ひらめいて作られた」のではなく、1980年代のプラザ合意から始まる世界経済の大波をきっかけに、プリンター技術、SGML、XML自動組版、国際展示会への挑戦といった幾多の経験が積み重なって生まれた必然の産物だからです。

「PMDOC X」はXMLデータ(構造化文書)からPDFへの自動組版を実現した
プラザ合意がもたらした運命の転機
公文書の基盤である「構造化文書」に取り組むきっかけは、1981年に入社した伊藤忠エレクトロニクスから始まりました。担当はプリンター事業。 最初に手掛けたのがApple社にOEMしたMacintosh向けImageWriterの開発でした。やがてレーザープリンタに向けたページ記述言語(PostScript互換ソフト)の開発。 産業用に普及していたレーザープリンターがPCにも波及し、DTP(デスクトップ・パブリッシング)の時代へと印刷システムが急激に変化して行きます。 当時のプリンター市場は欧米や日本のメーカーが熾烈な競争を繰り広げていました。依岡氏はその最前線に立ち、世界の最先端に直接触れる稀有な経験を積んでいたのです。 しかし、1985年9月、ニューヨークのプラザホテルで歴史的な合意が結ばれます。いわゆる「プラザ合意」です。ドル高是正を目的としたこの協調介入により、為替は急速に円高へ。わずか数年で1ドル=240円から120円へと半減し、輸出企業は軒並み苦境に立たされました。 輸出が9割を占めていた伊藤忠エレクトロニクスも例外ではなく、プリンター輸出の採算は崩れ、所属していた企画開発部は縮小。「このままでは会社は持たない」――依岡氏はそう直感しました。 1989年12月、退職を決意。新会社への一時移籍を経て、1990年4月、自らの会社を立ち上げます。独立の背景には、「また同じ失敗を繰り返すのではなく、自分の頭で考え挑戦する」という強い覚悟がありました。

プラザ合意が創業のトリガーとなり、41歳で起業
最初の挑戦 ― プリンタ関連ソフトでの成功
創業当初に手がけたのは、レーザープリンター関連ソフトでした。 特に「LIPSprint」という製品は、プリントサーバーとしてネットワークに接続することで、これまでCanonプリンターにしか出力できなかったものを(Canon LIPSコードをPostScriptコードに変換することにより)一般的なPostScriptプリンターに出力可能とするソフトウェアです。 当時としては革新的な機能であり、国内の有力メーカーに採用いただきました。 この後、ネクストソリューションは小規模ながらも国際的に認められる技術力を持つ企業へと成長していきます。
SGML自動組版との出会い ― 特許庁案件への挑戦
1990年代前半、依岡氏は新たな技術に着目します。それが「SGMLへの自動組版」でした。構造化された文書データを「国際標準規格であるDSSSL(ISO/IEC10179:1996に準拠した文書スタイル記述言語)」に基づいて組版し、正確に印刷物を生成するこの技術は、当時としては画期的なものでした。 開発された「DSSSLprint」は、NTTデータを通じて特許庁の入札案件に挑戦する機会を得ます。当初は国内外の複数ベンダーが競合しましたが、時間が経つにつれ他社の姿が消え、最終的に残ったのはネクストソリューションのみ。 「課題はありましたが、1年あれば解決できる」――依岡社長はそう言い切り、社内リソースを結集。1999年の入札を経て、2000年1月、意匠・商標の自動組版システムとして稼働しました。その後は特許・実用新案、特許公報へと対象を広げ、スタイルシート開発も含めて本格的な開発が始まります。 官公庁案件という極めて高い品質基準を満たした経験は、後の「PMDOC X」開発に繋がる大きな財産となりました。

特許庁のドキュメントソリューションを手がけたことが「PMDOC X」開発に繋がる
世界に挑む ― 国際展示会での反響
2000年以降、ネクストソリューションは国内案件の成功を足場に、海外市場への挑戦を始めます。XML EuropeやXML 2000(米国・ワシントンDC)をはじめ、フランス・パリ、ドイツ・ベルリン、スペイン・バルセロナ、イギリス・ロンドンなど、数々の展示会に出展しました。 ここで象徴的なエピソードがあります。SGMLの父と呼ばれるチャールズ・ゴールドファーブ氏が、わざわざ同社ブースに立ち寄り、スタッフに深々とお辞儀をしたのです。国際規格をつくった人物が、自らが提唱したDSSSLを商品化して持ち込んだ日本企業に敬意を表した瞬間でした。 こうした経験は単なる「販促活動」を超え、「世界の中で自社の技術が通用する」という確信を依岡氏にもたらしました。
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Charles F. Goldfarb(チャールズ・F・ゴールドファーブ)氏 コンピューター科学や文書技術の分野で極めて重要な功績を残し、「マークアップ言語の父」として知られています。彼が執筆された『XML HANDBOOK 5th』の「Beyond XML: The real DSSSL at work」という章に関して、弊社から情報提供を行った実績もございます。略歴
出典:Wikipedia |
次回予告 ― PMDOC X誕生の背景へ
こうして、プリンタ技術から始まり、XML自動組版を経て、国際展示会で世界に挑んだネクストソリューション。

XMLやSGMLを中心としたテキストマークアップ技術の専門家であるG. ケン・ホルマン氏とも交流を深めていく依岡社長
その延長線上に、医薬品・医療機器添付文書作成管理システム「PMDOC X」が生まれることになります。次回は、法改正の流れ、製薬・医療業界特有の課題、そして依岡社長がどのようにしてPMDOC Xの必要性を見出したのか――その誕生秘話に迫ります。
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G. Ken Holman(G. ケン・ホルマン)氏 XMLやSGMLを中心としたテキストマークアップ技術の専門家で、カナダの「Crane Softwrights Ltd.」の最高技術責任者(CTO)を務めていらっしゃいます。略歴
出典:Wikipedia |
